2007年3月8日木曜日

満月の夜に咲く藍の花

友人の母上で「志村ふくみ」さんという染色家が嵯峨野に住んでおられる。先日、NHKの番組に出られると言うので視てみた。この方のすばらしいのはさておき、そこで、「満月の夜に咲く藍の花」から作った藍染という話があった。この言葉は、ともすれば、CRTの向こう側に偏りがちな僕の思考を一気にCRTの外へとたたき出した。R:22 G:94 B:131H:200 S:83 B:51C:83% M:28% Y:0% K:49%これが、正確な藍色の値だそうだ。Rが20だったら藍色じゃ無いのか?多分藍色なんだろうね。それじゃ、19だったら?18だったら?だんだんと悩ましくなる。しかしながら、絶対確かな藍色がある。藍で染めたら、それは絶対に藍色だ。RGBが何%だろうと、CMYKが何%だろうと、知ったことじゃない。そういうものが、アナログの世界にはあることを、何時しか僕らは忘れ去っている。数字によるデジタル表現は確かに便利だし正確だが、逆にあまりにも不正確で誤ってもいる。「満月の夜に咲く藍の花」で染めた美しい藍染めもコンピュータはR:22 G:94 B:131から外れると、これは藍色ではないと判定するかもしれない。デジタルとか数値化は、絶えずそんな危険を孕んでいる。学校の成績も、会社の評価もすべて数値化される今、実はそれは間違いである大きな危険性を含んだものであることを僕らは忘れがちだ。
レンブラントの絵の色調はオランダの風土に根ざす顔料と密接に関わっているし、レオナルドの絵の色もそうだ。絵を描こうとする人は、絵の描き方を学ぶ以前に描くべき色を作る-絵の具を創る事が必要だった。美しい地中海の海の色を描くには、その色の顔料となるべき石を見つけなければならない。それが師匠の何よりの秘伝だった。僕らは当然のごとくに箱の中にそろった絵の具を手にするが、ほんの60ー70年前は画材やサンの店の裏では、乳鉢で顔料を磨り潰しメデュームに混ぜてチューブに充填する作業が行われていたそうだ。僕も絵描きの端くれであった頃、まだ日本画用の顔料が売られていて、自分で調合しチューブに充填してオリジナル絵の具を創って悦に入っていたものだ。顔料を調合し、箔を混ぜたり、砂や金属粉を混ぜたりすると、同じ色でも、その質感や輝きが見事に変わってくる。そこに、驚きや楽しみがあった。キャンバスに向かう遥か手前の世界、色の獲得のドラマだ。CRTの中でRGBの%を指定すれば瞬時に現れる色とドラマの中から生み出される色の間には、無限に近い隔たりがある。
金色は16進256で表現すると( R188G189B96 )だそうだ。CRTとネットワークの向こうに輝く金色に思わず見とれてしまうが そこにはその重さや、 冷たさやその質感は無い。 All is not gold that glitters.(Tout ce qui reluit n’est pas or.Es ist nicht alles Gold, was glänzt.)輝くものすべて金ならず。さて、逆に言えば、輝かない金もあるんだろうか?