2010年11月7日日曜日

国を憂う


国を憂う:
どうも最近の民主党の国家観は嘆かわしい。2番じゃだめなんですか?当たり前だ1番じゃないと意味がない。そう言えない官僚も情けない。オンリーワンなんてものは負け犬でしかない。200年かかるスーパー堤防が馬鹿にされる。200年かかるから国家の計でやる意味がある。2,3年でできるものなら民間企業がやればいい。などと、嘆いていたら同窓の渡辺君が国土交通省の懸賞論文に1等賞となった。素晴らしい文なので転載する。渡辺が帰ってこれる日本にしなければ!!

夢の途中

「僕は、僕を最も必要としているところへ行く」――二〇〇九年秋、松井秀喜はこう言ってヤンキースを後にした。建設会社で定年再雇用中の身には、この三五歳の若者の言葉が沁みた。私には雇用継続の権利は残っているとはいうものの、どうもこの会社は、というより日本が私を必要としていないようだ。さて、私は何ができるのか、何をしているときが楽しいのか・・・答えは容易に見つかった。私にはエンジニアとしての誇りがある。三九年の会社人生活で積み重ねた技術者哲学がある。橋梁分野であれば、プロとしての自負がある。これが通じるところ、すなわち「僕を必要としているところ」だ。

今、ベトナム・ホーチミンの橋梁工事で施工監理のレジデント・エンジニア(RE)として働いている。サイゴン川の畔に居を構え、往き交う船の汽笛で目覚め、片道四五分の現場に出勤する。REの仕事は、いわゆる「責任技術者」である。毎日、それこそ面白いように課題が生まれる。最大荷重四万五千kNを超える杭の載荷試験をどうするか、束ね鉄筋の機械式継手はどうするのか、鉄筋を溶接していいか、塩分の多い地下水をベントナイトの練混ぜに使えるか、コントラクターの工程計画がデタラメだ、工事区域に住民が平気で入ってくる、などなど。その一つ一つに答えを出し、コントラクターを指導する。
二十数年前に私が悩んだことで、コントラクターの技術者も悩んでいる。ちょっとしたアドバイスで若者の目が輝く。こちらもうれしくなる。隣接工区の所長までが相談に来る。現場のアシスタント・レジデント・エンジニア(ARE)が言う。
「みんな、あなたが好きなんです」
このAREは三六歳、コントラクターの副所長は三二歳、いずれも基礎学力に優れ、経験には乏しいが、好奇心と意欲に溢れたベトナム人技術者である。彼らの希望は、会社で地位が上がることではない。責任技術者として祖国の社会基盤整備に携わることである。土木を選んだ人間としては、至極当然な志望だ。ベトナムの社会資本はまだ脆弱だ。まだまだ、日本の資金と技術を必要としている。ここでは自分が必要とされているという自惚れが、私を有頂天にさせる。かつて、現場で夜を徹して技術検討をしていた頃と同じ感覚だ。だから、一日中仕事をやっていても飽きることがない。
毎日定刻に仕事を終え、六時には家に帰る。残業に関してはベトナムが先進国だ。シャワーを浴び、刻々と色を変える西の空を横目に、グラスにバーボンを注ぐ。至福のひと時だ。

技術力とは、何が起こるかを予測する力、これに対して計画を立てる力、そして、予測を超えることが起きた時に対応する力の総和だと定義しよう。これらに即座に答えを出すだけの知識と経験と倫理と、知らないことを聞くための人脈が必要だ。それが一流エンジニアの条件だ。
自分のやりたいことを探すために、目の前のことを一所懸命にやる。やりたいことが見つかれば、それに一所懸命に取り組む。一所懸命にやるとモノの本質が見えてくる。人脈も増える。一流に近づく。そうなると、仕事が「一日やっても飽きない」ようになる。決して楽な道ではない。それが結果的に、「世の為、人の為」になる。それが、社会資本を整備するという仕事の本質だ。

 中学生諸君、村上龍が「十三歳のハローワーク」で触れていない仕事がここにある。心の隅に残しておいてくれ。これから進路を選ぶ高校生諸君、私の人生を参考にするもよし、しないもよし、だ。これを読んでくれた諸君の一割でも、社会資本整備という仕事に興味をもってくれればうれしい。
今、土木を学んでいる学生諸君、すでに社会に出たシビルエンジニアの卵たち、あなた方の選択はそんなに悪くない。社会資本整備は悪だという風評に流されてはいけない。「なぜ、世界一になる必要があるのですか」などという問いに答える必要はない。あなたが一流になれば、あなたを必要とするところは必ずある。
学校に期待するな、会社に期待するな、上司に期待するな、国に期待するな。その代わり、尊敬できる先生や先輩や友人を見つけなさい。その人を鏡にして、自分をよく見つめなさい。
七〇歳の今もなお、下水道整備で世界を飛び回っている先輩がいる。中学の同級生で、ベトナムに医療村を作るべく奔走しているヤツがいる。栃木の田舎に引っ込んだと思った同窓生は、またモンゴルに橋を架けに行った。今や、オジサンが荒野をめざしている・・・三年後、橋の完成とベトナム若手技術者の成長が楽しみだ。六二歳のシビルエンジニアはまだ、夢の途中にいる。