2008年11月26日水曜日

山小屋プロジェクト:WaterValley#15 2008.11.26


外壁ができてほぼ完成。あとは外壁の塗装と内装だ。今日は寒い。ドアと窓が付くと一段と家らしくなる。
今回の野路板を張る作業で一番有難味があったのは充電式の丸のこだ。家の寸法に合わせて杉板を20数枚両側で二倍の50回カットするのだが、鋸の手引では相当の労力が予想される。テクノロジーの有難さと言うべきだろう。テクノロジーを活用するのか、あくまで斧と手引きの鋸をで戦うのか?考え方は別れる。しかし、鋸も斧もやはりテクノロジーの成果物であり、今でこそレガシーなツールだが、青銅器から鉄器時代に向かう頃であれば最先端技術であったはずだ。自然を愛し自然と共生する精神に反するとも思えない。などと、なんとか正当化する理由を見つけたくなるほどに便利だ。

だが、この便利さの本質は、丸鋸と言う工具にあるのではなく、充電池にある。山の中の電気のないところで機械を動かすのは今までは内燃機関(エンジン)しかなく、必然的に大きなサイズとならざるを得なかった。エンジン式の芝刈り機やチェーンソウ等がそれで、大きな力を要求する場面では当然これが主役だ。だが、電池の性能向上は着実にその領域を侵しつつある。電話がその代表で、電池はコンピュータ技術を凌ぐ重要なデバイスだ。ノートパソコンからハイブリッドカーに至るまで、身の回りの最先端は多くの場合充電池の進歩に大きく依存している。いずれ、燃料電池に置換わり、ひょっとしたら原子炉をポケットに入れて持ち歩く日が来るかもしれない。送電線による中央集権的エネルギー構造から、分散的エネルギー利用に替わる時代の入り口に僕らは今いる。

エネルギーは分散しても、人はますます孤独になり、携帯でメールを送りあうのだろうか?

2008年11月22日土曜日

山小屋プロジェクト:WaterValley#14 2008.11.21




ドアと窓枠完成、野路板に突入。


ドアと窓枠が付くとグッと家らしくなる。寒いとたき火は絶対必要。たき火をすると、つい、遊びたくなる。お弁当のおかずの唐揚げや鮭を網焼きするとぐっと食事もグレードアップする。住宅建築では、キッチンは無くてはならないものだけど、自然の中では勝手も変わってくる。水はすぐそばの泉で汲み、落ちている木の枝や倒木で火をおこし、石で組んだ炉の上に置いた網の上で、お茶を沸かし、おかずを焼く。火力調整ではなく、火からの距離で火加減が決まる。そもそもKitchenの語源は、ラテン語のco-quina(火を使うところ)、古来語ではcycene(クチーナ)で、これらが転じてキッチンとなったといわれている。 日本の台所は、平安時代の貴族の館の配ぜん台のあったところからきているようだ。江戸時代になっても食器を洗うのも野菜を洗うのも、井戸やきれいな流水のある場所で家の中にはなかった。家の中に蛇口が付いたのは水道網ができてきた近代だ。釜戸も外部空間との中間地点の土間に位置していた。入り口を入るとすぐに土間とかまどがある間取りを「表勝手」といった。今のワンルームマンションでいきなりキッチンと流し台というのも、それなりに歴史的なものでもある。暖炉とcooking stove,囲炉裏と釜戸も同じく「火」を扱いながら微妙に違う。山小屋に、キッチンと流し台は不要かも。

2008年11月19日水曜日

山小屋プロジェクト:WaterValley#13 2008.11.19










ついに屋根完成
今年、最高の寒波到来。山は5度。働いているとそれほどでもないが、腰かけてお弁当となるとさすがに寒い。焚き火だ、焚き火だ。燃やすものはいくらでもある。枯れ木、焚きつけには事欠かない。
 メラメラと燃える炎は何か引き込まれる。「火遊び」という言葉の意味が良くわかる。情熱は焔のごとく燃え上がるし、怒りも燃え上がる。篝火の薪能は幽玄だし、鞍馬の火祭は勇壮だ。しかし、二つ重なると、胃炎だったり関節炎だったりあまりうれしくない。火は内的であり普遍的、善と悪を同時に断固として受け入れることのできる唯一のものである。それは、楽園で光輝き、地獄で燃える。それは優しさであり責苦である。それは煮炊きする火でありアポカリプスの火でもある。(バシュラール/火の精神分析)
 火は、炎だけでなく不完全燃焼すると煙も出るし、燃えた後には灰が残る。上手に火を起こす人もいれば下手な人もいる。燃え始めて消えるまでには、プロセスとスキルも付随してくる。オール電化や電子レンジで火は生活の中にその地位を失いつつある。それは単なる郷愁として忘れさってもいいのかもしれないが、心の焔はなくしたくないものだ。

2008年11月13日木曜日

山小屋プロジェクト:WaterValley#12 2008.11.13


屋根に挑戦。
E氏の協力を得て、屋根に、コンパネ、防水シート、アスファルトシングルを貼る。アスファルトシングルは山側80%で今日は終わり。やはり、アスファルトシングルを貼るといかにも「家」という貫録と存在感が出てくる。
今日は、いつも滾々と湧き出ている湧水を持ち帰り水質検査。COD(化学的酸素要求量)NH4(アンモニュウム態窒素)、NO2(亜硝酸態窒素)、NO3(硝酸態窒素)、PO4(リン酸態窒素)すべて測定限界以下の値。PHもちょうど7.これで、山の湧水も安心して飲める。(子供の時から飲んでいたが。)

2008年11月12日水曜日

山小屋プロジェクト:WaterValley#11 2008.11.12










ドアを制作。「道具と工具」


大きなアクリルの窓付きドアを制作。約6時間。最後にヒンジを取り付ける段になって「のみ」を使用して兆番の取り付け用のくぼみを作成。ノミを使うには2,30年ぶりだろうか。錆びきっている。グラインダーで横着をかます。本当は砥石で心をこめて研ぐのが本当だろう。ご先祖に叱られそうだ。要領がつかめた頃には作業は終了。

 ところで、ノミも鉋も「道具」と呼び(間違いではないが)あまり工具とは言わない。ドライバーやスパナは道具だけれど「工具」と呼ぶほうがふさわしい。もちろん、「道具」を使うのは人類の特徴ともいわれさまざまな分野にわたるが、何か、「道具」と「工具」はニュアンスが違う。鉋で木を削ると、木の性格や向きによって削れかたも異なるが、サンダーで削ると滑らかできれいで、しかし無表情だ。手引きの鋸で木を切ると木目や節で曲がったりするが、電動丸鋸できると、きれいに直線で切れる。プレカット、プレキャスト、プレファブリックは便利だ。素材の個性との衝突のあるなしだ。個性をバッサリ切り捨てるか、個性とぶつかり葛藤するか。鉋で木を削るには、木の性格を知り、対話しなければならない。面倒だがきれいに削れた面はサンダーで削った面とは比べ物にならない輝きがある。


<<お願い>>多くのメールをいただき感謝いたしておりますが、コメントに投稿していただくと議論も展開できます。できればコメントもお願いします。

2008年11月7日金曜日

山小屋プロジェクト:WaterValley#10 2008.11.027



ドア(手帳うの落書きよりSCAN)と足場の構想(足場はE氏) ドアの上半分は5mmのアクリルで開放感を持たせる。さて、ドアノブをどうしよう。MIWAのステンレスのレバーハンドルという訳にも行くまい。

構想に行き詰まると....静寂と死:今日は都会の事務所から思いをはせる。
ちょっと遊びすぎで仕事がたまる。今日はかたずけなければとやってきたのだがいつしか思いは山へ。振り返ってみれば昔は「W.V.]までは車で1時間かかったのだか、道路とトンネルのおかげで30分少々だ。それであの環境が得られるというのはうれしい。僕の事務所も駅前でありながら、結構静かな場所である。それでも山の静けさとは何か質が違う。その違いが重要な文明の(オオゲサナ!)課題なんだろう。空気が違う。山の空気は澄み切ったにおいがある。山の静かさには、静寂な音がある。山の落ち着きには落ち着いた動きがある。それが、死んだ世界との違いであり、防音工事とシックハウス対策で実現できない何かなのだろう。しかし、「だから人工の空間はだめ」なのではなく何か実現する方法はありそうにも思える。「だから人工の空間はだめ」は、自然を理解し愛する人のように聞こえるが、実は「敗北主義」であるようにも思える。

2008年11月2日日曜日

山小屋プロジェクト:WaterValley#9 2008.11.02










屋根材の搬入と野路板貼り(11/2)今日もE氏の協力を得て作業開始。まず、アスファルトシングルの運搬問題だ。常に、部材の山の斜面の運搬は大きな課題、問題解決の楽しみでもある。今回は、斜面の上側に滑車のつけ、イレクターで作った橇に部材を乗せて車のウインチで引き揚げようというアイデアだが、大失敗。背負子+人力で運んだ方がよほど早かった。のろのろウインチはワイヤーは絡まるし、ガイドプレートは割れるしトラブル続出だ。これはやはり、車の脱出用以上には使えない。 疲れ切ったところで弁当休憩。野路板の施工にかかる。コンパネと違って北山杉は心休まる良いにおいがする。床用の凹凸の溝を切った板だが、かみ合わせがどうにもうまく行かないものがあり、一部悪戦苦闘。たった1枚の180cmの板が、どうにもかみ合わず30分もかかったものもあった。人生、節目節目が...と言うが木材の節目はこりごりだ。節目の無い人生もさみしいが。御託を並べながらやっているうちに、終わった時は山はまたもや真っ暗。E氏持参の高級ランタンが威力を発揮。ブルーシートの雨よけをかけ、懐中電灯も活躍しながら撤収。照明のない真っ暗な山はちょっと怖い。昔、家族でここにテントを張って一夜を明かした時に「お父さん、ジェーソン出てきたらどうしよう」と言った息子の言葉を思い出した。

2008年11月1日土曜日

山小屋プロジェクト:WaterValley#8 2008.11.01


屋根材の購入(11/1)京都市市内のDIYのKは全く品揃えが悪い。ちょっとした部材は六地蔵店まで足を運ぶ必要がある。困ったもんだ。京都人は工作の域を超えたDIYはしないんだろう。1000年の都会人だから止むを得ないのかも。アスファルトシングルを6束。愛車のJimnyは一杯だ。サスも沈みぎみ、制動距離も明らかに長い。ルームミラーも後ろが見えない。安全運転、安全運転。