2010年12月31日金曜日

今年も余すところ。。。


今年もあと数時間となってしまった。31日の11時59分と1日の0時。一瞬の通過点に過ぎないのだがやはりそれが歴史。力に頼る外交関係が台頭する一方、西欧社会はリバタリアニズム?自由原理主義からコミュニタリアニズムへと舵を切っているようにも見える。マイケル・サンデルの「Justice」が話題となる一方、ドラッカーやマルクスが再認識される時代。ようやく21世紀が始まったのかも知れない。共産主義が崩壊し、資本主義も崩壊したその先にあるポストモダンがおぼろげに姿を現してきた一年だった。

2010年12月22日水曜日

体成分測定


上手に体重と皮下脂肪を増やすのは難しい。

2010年12月19日日曜日

久しぶりに






やっぱり山の空気はいい。衝動的に、美山までドライブ。そばを食べて帰る。

2010年11月7日日曜日

国を憂う


国を憂う:
どうも最近の民主党の国家観は嘆かわしい。2番じゃだめなんですか?当たり前だ1番じゃないと意味がない。そう言えない官僚も情けない。オンリーワンなんてものは負け犬でしかない。200年かかるスーパー堤防が馬鹿にされる。200年かかるから国家の計でやる意味がある。2,3年でできるものなら民間企業がやればいい。などと、嘆いていたら同窓の渡辺君が国土交通省の懸賞論文に1等賞となった。素晴らしい文なので転載する。渡辺が帰ってこれる日本にしなければ!!

夢の途中

「僕は、僕を最も必要としているところへ行く」――二〇〇九年秋、松井秀喜はこう言ってヤンキースを後にした。建設会社で定年再雇用中の身には、この三五歳の若者の言葉が沁みた。私には雇用継続の権利は残っているとはいうものの、どうもこの会社は、というより日本が私を必要としていないようだ。さて、私は何ができるのか、何をしているときが楽しいのか・・・答えは容易に見つかった。私にはエンジニアとしての誇りがある。三九年の会社人生活で積み重ねた技術者哲学がある。橋梁分野であれば、プロとしての自負がある。これが通じるところ、すなわち「僕を必要としているところ」だ。

今、ベトナム・ホーチミンの橋梁工事で施工監理のレジデント・エンジニア(RE)として働いている。サイゴン川の畔に居を構え、往き交う船の汽笛で目覚め、片道四五分の現場に出勤する。REの仕事は、いわゆる「責任技術者」である。毎日、それこそ面白いように課題が生まれる。最大荷重四万五千kNを超える杭の載荷試験をどうするか、束ね鉄筋の機械式継手はどうするのか、鉄筋を溶接していいか、塩分の多い地下水をベントナイトの練混ぜに使えるか、コントラクターの工程計画がデタラメだ、工事区域に住民が平気で入ってくる、などなど。その一つ一つに答えを出し、コントラクターを指導する。
二十数年前に私が悩んだことで、コントラクターの技術者も悩んでいる。ちょっとしたアドバイスで若者の目が輝く。こちらもうれしくなる。隣接工区の所長までが相談に来る。現場のアシスタント・レジデント・エンジニア(ARE)が言う。
「みんな、あなたが好きなんです」
このAREは三六歳、コントラクターの副所長は三二歳、いずれも基礎学力に優れ、経験には乏しいが、好奇心と意欲に溢れたベトナム人技術者である。彼らの希望は、会社で地位が上がることではない。責任技術者として祖国の社会基盤整備に携わることである。土木を選んだ人間としては、至極当然な志望だ。ベトナムの社会資本はまだ脆弱だ。まだまだ、日本の資金と技術を必要としている。ここでは自分が必要とされているという自惚れが、私を有頂天にさせる。かつて、現場で夜を徹して技術検討をしていた頃と同じ感覚だ。だから、一日中仕事をやっていても飽きることがない。
毎日定刻に仕事を終え、六時には家に帰る。残業に関してはベトナムが先進国だ。シャワーを浴び、刻々と色を変える西の空を横目に、グラスにバーボンを注ぐ。至福のひと時だ。

技術力とは、何が起こるかを予測する力、これに対して計画を立てる力、そして、予測を超えることが起きた時に対応する力の総和だと定義しよう。これらに即座に答えを出すだけの知識と経験と倫理と、知らないことを聞くための人脈が必要だ。それが一流エンジニアの条件だ。
自分のやりたいことを探すために、目の前のことを一所懸命にやる。やりたいことが見つかれば、それに一所懸命に取り組む。一所懸命にやるとモノの本質が見えてくる。人脈も増える。一流に近づく。そうなると、仕事が「一日やっても飽きない」ようになる。決して楽な道ではない。それが結果的に、「世の為、人の為」になる。それが、社会資本を整備するという仕事の本質だ。

 中学生諸君、村上龍が「十三歳のハローワーク」で触れていない仕事がここにある。心の隅に残しておいてくれ。これから進路を選ぶ高校生諸君、私の人生を参考にするもよし、しないもよし、だ。これを読んでくれた諸君の一割でも、社会資本整備という仕事に興味をもってくれればうれしい。
今、土木を学んでいる学生諸君、すでに社会に出たシビルエンジニアの卵たち、あなた方の選択はそんなに悪くない。社会資本整備は悪だという風評に流されてはいけない。「なぜ、世界一になる必要があるのですか」などという問いに答える必要はない。あなたが一流になれば、あなたを必要とするところは必ずある。
学校に期待するな、会社に期待するな、上司に期待するな、国に期待するな。その代わり、尊敬できる先生や先輩や友人を見つけなさい。その人を鏡にして、自分をよく見つめなさい。
七〇歳の今もなお、下水道整備で世界を飛び回っている先輩がいる。中学の同級生で、ベトナムに医療村を作るべく奔走しているヤツがいる。栃木の田舎に引っ込んだと思った同窓生は、またモンゴルに橋を架けに行った。今や、オジサンが荒野をめざしている・・・三年後、橋の完成とベトナム若手技術者の成長が楽しみだ。六二歳のシビルエンジニアはまだ、夢の途中にいる。

2010年10月19日火曜日


電子図書館が各大学や国会図書館で進行しているそうだ。京大はkurenai(KyotoUniversityResarchInformationRepository)
と言うらしい。アーカイブと言う言葉から最近はリポジトリに替ってきているのか。UBUNTUせいかも。それはさておき、論文はノーベル賞の益川教授やIPS細胞の山中教授のものがアクセスが多いようだ。変わり種としては、京都精華大学と協同の京大マンガプロジェクトがなかなか面白い。IPS細胞の話を漫画で読むことができる。京都大学霊長類研究所チンパンジー物語も面白いな。uRLhttp://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/66065。こうして、本や論文が即座に検索できるのは素晴らしいことではある。しかしながら、さまざまな情報が本や論文のコンテクストから切り取られて読まれることには危うさがある。論文の流れの中の一部としての一節、本というストーリーと文脈の中の分節が一人歩きするわけだ。流れから切り離された部分としての文章はやはりバックボーンとしての思想の、感性の厚みを失わざるを得ない。
 そういえば、私事だが音楽の聴き方がiPODになって変わってきた。アルバム単位ではなくシャッフル機能でばらばらに聴くことが多くなっている。マイルスのサムシングエルスの中の枯葉を聴いていると次にはエロール・ガーナーのミスティが流れて来る。CDの製作者にとってはどの順で曲を聴かせるかは重要な編集課題だったし、アナログレコード時代なら、A面にのせる曲とB面にのせる曲の選別も重要なメッセージだった。(念のため知らない人のため:アナログレコードには裏表があり表がA面、裏がB面でひっくり返して聴いた。)一つの曲は全体のストーリーに位置付けられていたわけだ。
 ITテクノロジーはすべての情報を切り分け量子化してBitの流れの中に放り出してゆく。その細切れの断片の中でそれを相互に結び付ける技術はまだ無い。
 もっとも、人間社会もXX村の何ベイさんが消失し、孤独な群衆の群れ化しているわけだから、この量子化現象は我々を取り巻くすべての世界に共通するトレンドでもあるわけだ。FacebookやTwitterにその予兆はあるのだろうか?まだ見出すことはできない。

2010年8月1日日曜日




満足した愚か者であるよりは、不満足なソクラテスの方が良い(ミル)
満足なソクラテスは多分いないんだろうか?悟りの境地って言うのは?太く短かく生きるより、細く長く。こう言われると、皆さん疑問を抱く事なくどちらかを選ばないといけない様に思ってしまうようだ。太く永くの可能性がとっさに忘れられてしまう。他に幾つもの選択肢が在るのに、それを相手の思考から即座に消し去ってしまう手法に僕らはよく嵌ってしまう。その最も上手な宣伝が、生命保険。誰もが生命保険は入るものだと先ず思わせ(多くの人は確率と期待値の計算をせずにそう思い込んでしまっている様だが)商品の選択に入らせる。買わないと言う選択はない。思考停止をさせた上供給者に都合のよいどちらかを選ぶことを強制する。腐ったリンゴがいいですか?それとも腐ったミカンがいいですか?あなたは自由にどちらかを選ぶことが出来ますよ。そんな選択があふれている。
京都市内は35℃、山小屋は25℃。小鹿に遭遇。

2010年2月7日日曜日

雪の美山でjimny脱輪


。美山に到着。昨夜の雪灯篭程雪もなく、のどか。さあ、帰ろうと切り返したところで、小川に左後輪を脱輪。小川まで転落しなくてよかった。ウインチで脱出したいところだが、道路を横断してワイヤーはるのは危険だ。どうしようかと思っていると、地元のオジサンたちがやってきた。オオ、落としたか。俺達3人ボンネットに乗って前輪おさえてアクセル踏んだらイケルンチャウ。オオ、俺80キロあるぞ。ということで、写真の如く。4WDのLに入れて無事脱出。オジサンたち、ありがとう。これで又、美山が好きになった。


山小屋もすっかり冬景色


スタッドレスが微妙にスリップする感覚がたまらない。




美山雪灯篭


雪に埋もれた茅葺きのライトアップされた姿は幻想的だ。
人工的に作り出された「美」ではあるが。

2010年1月29日金曜日

遅ればせながら今年の目標

catcher in the ray村上春樹訳を読む。
今年の個人目標

1.JWcadのマスター
  AutoCADにこだわっていたが、最近の取引先にJWが多い。
  DLしてみると業務に立派に使えるソフトだ。これなら乗り換えてもよい。
2.HAM免許取得
  携帯電話の普及でHAMの人気も落ち目。その分バンドも空いていて
  環境もよい。利用層もだいぶ淘汰が進み良くなっているようだ。
3.懸垂 順手で15回
4.ピアノ 10曲マスター
5.山小屋アクセス道路

2010年1月26日火曜日

富士山に沈む夕日


jeepで東京へ          新丸ビル7Fより