2010年10月19日火曜日


電子図書館が各大学や国会図書館で進行しているそうだ。京大はkurenai(KyotoUniversityResarchInformationRepository)
と言うらしい。アーカイブと言う言葉から最近はリポジトリに替ってきているのか。UBUNTUせいかも。それはさておき、論文はノーベル賞の益川教授やIPS細胞の山中教授のものがアクセスが多いようだ。変わり種としては、京都精華大学と協同の京大マンガプロジェクトがなかなか面白い。IPS細胞の話を漫画で読むことができる。京都大学霊長類研究所チンパンジー物語も面白いな。uRLhttp://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/66065。こうして、本や論文が即座に検索できるのは素晴らしいことではある。しかしながら、さまざまな情報が本や論文のコンテクストから切り取られて読まれることには危うさがある。論文の流れの中の一部としての一節、本というストーリーと文脈の中の分節が一人歩きするわけだ。流れから切り離された部分としての文章はやはりバックボーンとしての思想の、感性の厚みを失わざるを得ない。
 そういえば、私事だが音楽の聴き方がiPODになって変わってきた。アルバム単位ではなくシャッフル機能でばらばらに聴くことが多くなっている。マイルスのサムシングエルスの中の枯葉を聴いていると次にはエロール・ガーナーのミスティが流れて来る。CDの製作者にとってはどの順で曲を聴かせるかは重要な編集課題だったし、アナログレコード時代なら、A面にのせる曲とB面にのせる曲の選別も重要なメッセージだった。(念のため知らない人のため:アナログレコードには裏表があり表がA面、裏がB面でひっくり返して聴いた。)一つの曲は全体のストーリーに位置付けられていたわけだ。
 ITテクノロジーはすべての情報を切り分け量子化してBitの流れの中に放り出してゆく。その細切れの断片の中でそれを相互に結び付ける技術はまだ無い。
 もっとも、人間社会もXX村の何ベイさんが消失し、孤独な群衆の群れ化しているわけだから、この量子化現象は我々を取り巻くすべての世界に共通するトレンドでもあるわけだ。FacebookやTwitterにその予兆はあるのだろうか?まだ見出すことはできない。