2011年3月8日火曜日
ウフィッツコレクション:俗物主義のすすめ
肖像画:自画像に焦点を当てて収集するという発想は面白い。作家で収集する、時代で、国で、流派で収集するなどいろんなやり方があるが、自画像と言う発想はなかったような気がする。展覧会というと最近は必ず音声ガイドの貸し出しがあって熱心に聴きながら鑑賞?勉強している人も多い。美術評論家や学芸員の大先生の解説は確かによくまとまっていて流石と思わせる。(これでメシ食ってるんだから)偉い先生の目で見るのも好いが、時には自分の目で見てはどうだろう。他人の目で見てもそれは所詮他人の目で見たに過ぎない。幼稚でも、的外れでも、専門的には間違っていても自分の目で見ることのほうが大切ではないだろうか。別に後で試験があるわけじゃないんだから、もっと自由に勉強ではなく楽しく鑑賞するほうが後に残るものがあるような気がする。と、いうわけで、今回もヒネクレMONKオジサンが斜めに鑑賞。
ざっと絵を見て2周目は額縁鑑賞だ。この時代の額縁はみんな素晴らしい。物によっては絵より面積的にも額縁のほうが大きいケースが多い。昔、画家であったころ感じたものだが、イーゼルの上で完成した絵を額縁に入れたとたんに、自分の絵が名画に見えてくる。いかにもアブラエーーーといった雰囲気に豹変する。どのような額縁に入れるかで同じ絵の雰囲気が一変する。デコラティブな仰々しい額に入れると油絵だし、アルミのシンプルなフレームに入れると近代絵画になる。現代はどちらかというと「絵そのものを芸術的に評価してほしい」的な考えが主流でデコラティブナ額縁ははやりでは無いみたいだけれど、最近、額縁も悪くないなと思い始めた。その選択で、画家の思いもわかるし、自画像に至っては本人の自分に対する思い、家族がどう思ってほしいと思ってその額縁に入れたかも伝わってくる。描かれた表情よりも面白いこともある。
さて、3周目は背景を中心の見て回る。ただタダ黒っぽい背景、窓辺で住んでいる街を背にした自分、珈琲を片手にくつろいでいる自分、中にはワイングラス片手の楽しそうな姿、鏡に映った自分、雨の公園で傘をさした姿、絵の中のイーゼルに乗ったキャンバスの中の自画像、家族に囲まれた自分。葬儀場の祭壇に飾られた単調な肖像と違って、実に様々だ。
絵画を純粋芸術として見、鑑賞、評価するのも好いけれど、もう一度世俗に戻してみてはどうだろう。絵画が純粋芸術になって以来、それはどんどん庶民のこことから遠ざかってしまったように思えてならない。美術館や画廊の壁ではなく、自分の家の壁に、有名画家の複製ではなく、下手でもよいから自分の絵、街の似顔絵描きでもよい。血の通った絵を取り戻してみてはどうだろうか。