2011年2月13日日曜日

見えないものを見る:



木に雪が付着している。これが風の吹いている向きだ。雪がないところがある。これが地下水脈の地上に近いところ。自然は目に見えない物の底流にあるものを教えてくれる。街でもそうだ。雨の日に傘をコツコツしながら建物の中を歩いているとコツコツがぼこぼこに変わるところがある。配管スペースだ。もっとプリミティブなところでは、果物屋の親っさんがスイカをぽんぽん叩いて品定め。賞味期限表示のなかった子供のころはクンクン臭いをかいでまだ大丈夫とかもう駄目と食品の品定めをしていた。僕らはいろんなところで見えないものを見ているんだが、どうも最近は見えないものは見えないから駄目な世の中になってきた。賞味期限表示からコンプライアンスと経営の見える化まで。そして、見えないものを無理やり見る技術も進んできた。暗視装置も最近はグリーンではなくフルカラーになってきたし、顕微鏡の倍率も、望遠鏡の倍率も飛躍的に上がってきた。googleのストリートビューで居ながらにして世界が見える。見えないものが見えるようになるに反比例して見えないものを直感的に見る感性は劣ってきていないだろうか。見えるものしか見ないで見えないものを直感的に見る努力をおろそかにしていないだろうか。行間を読む、心を読む、空気を読む。意外と出来ていない。