2008年12月18日木曜日

山小屋プロジェクト:WaterValley#19 2008.12.18





ドアノブとカーテンを取付。これですっかり部屋らしくなった。机が欲しい。
徐々に作ることから食べることに比重が移行。今までいい加減にその辺に転がっているブロックや石をごちゃまぜに積み上げていた炉を再構築。石できちんと炉を作るとやはり格調が出る。いままで、網の上で適当に焼いていた食材も、今日はダッチオーブンの挑戦。玉ねぎ、人参、リンゴをホイルに包んで入れただけだがとろけるように焼け(蒸せた?)最高だ。食塩を忘れた後悔も吹き飛ぶ。素材が何もせずに素材のまま美味しい。
次は、樵と外構だ!

2008年12月14日日曜日

山小屋プロジェクト:WaterValley#18 2008.12.14


今日は、雨樋を付けた。当初は雨など軒からぽたぽたと落ちれば良いと思っていたのだが、樋には軒からぽたぽた落ちる見栄えを避ける以上に重要な役割があることを発見。本来屋根に降っている雨はそのまま均等に地面に浸透してゆくのだが、建物が建つ事によって集中的に軒下の地面に落下し溝を作り水たまりを造る。地面に対して降雨がアンバランスになり、それが周辺の地形を侵食する訳だ。日ごろ何の意識もせず当然と思っている建築パーツにも、さて、自分で造って見るとそれなりの重要な役割があるのだと思う。

山小屋プロジェクト:WaterValley#17 2008.12.13


外壁をアイビーグリーンでオイルステイン。周りのシダ、笹、苔の色と一体化。道からは意識しない限り目に入らない。

2008年12月4日木曜日

山小屋プロジェクト:WaterValley#16 2008.12.04


今日は、床を完成。床と天井は北山杉だ。家に入ると杉のにおいがする。最近のフローリングは表面加工があり傷も付きにくく丈夫だがこちらは表面も傷つきやすく反りもでる。傷だらけで、一つ一つの傷に思い出と歴史があったあの床だ。朽ちない、さびない、壊れない技術はずいぶん進歩したが。巧妙に朽ちる、上手にさびる、適切に壊れる物の再発見、「昔は良かった」懐古趣味ではなくもっと前向きな未来志向の昔再開発があってもいい。北山杉の匂いがそう語りかけてくるようだ。

2008年11月26日水曜日

山小屋プロジェクト:WaterValley#15 2008.11.26


外壁ができてほぼ完成。あとは外壁の塗装と内装だ。今日は寒い。ドアと窓が付くと一段と家らしくなる。
今回の野路板を張る作業で一番有難味があったのは充電式の丸のこだ。家の寸法に合わせて杉板を20数枚両側で二倍の50回カットするのだが、鋸の手引では相当の労力が予想される。テクノロジーの有難さと言うべきだろう。テクノロジーを活用するのか、あくまで斧と手引きの鋸をで戦うのか?考え方は別れる。しかし、鋸も斧もやはりテクノロジーの成果物であり、今でこそレガシーなツールだが、青銅器から鉄器時代に向かう頃であれば最先端技術であったはずだ。自然を愛し自然と共生する精神に反するとも思えない。などと、なんとか正当化する理由を見つけたくなるほどに便利だ。

だが、この便利さの本質は、丸鋸と言う工具にあるのではなく、充電池にある。山の中の電気のないところで機械を動かすのは今までは内燃機関(エンジン)しかなく、必然的に大きなサイズとならざるを得なかった。エンジン式の芝刈り機やチェーンソウ等がそれで、大きな力を要求する場面では当然これが主役だ。だが、電池の性能向上は着実にその領域を侵しつつある。電話がその代表で、電池はコンピュータ技術を凌ぐ重要なデバイスだ。ノートパソコンからハイブリッドカーに至るまで、身の回りの最先端は多くの場合充電池の進歩に大きく依存している。いずれ、燃料電池に置換わり、ひょっとしたら原子炉をポケットに入れて持ち歩く日が来るかもしれない。送電線による中央集権的エネルギー構造から、分散的エネルギー利用に替わる時代の入り口に僕らは今いる。

エネルギーは分散しても、人はますます孤独になり、携帯でメールを送りあうのだろうか?

2008年11月22日土曜日

山小屋プロジェクト:WaterValley#14 2008.11.21




ドアと窓枠完成、野路板に突入。


ドアと窓枠が付くとグッと家らしくなる。寒いとたき火は絶対必要。たき火をすると、つい、遊びたくなる。お弁当のおかずの唐揚げや鮭を網焼きするとぐっと食事もグレードアップする。住宅建築では、キッチンは無くてはならないものだけど、自然の中では勝手も変わってくる。水はすぐそばの泉で汲み、落ちている木の枝や倒木で火をおこし、石で組んだ炉の上に置いた網の上で、お茶を沸かし、おかずを焼く。火力調整ではなく、火からの距離で火加減が決まる。そもそもKitchenの語源は、ラテン語のco-quina(火を使うところ)、古来語ではcycene(クチーナ)で、これらが転じてキッチンとなったといわれている。 日本の台所は、平安時代の貴族の館の配ぜん台のあったところからきているようだ。江戸時代になっても食器を洗うのも野菜を洗うのも、井戸やきれいな流水のある場所で家の中にはなかった。家の中に蛇口が付いたのは水道網ができてきた近代だ。釜戸も外部空間との中間地点の土間に位置していた。入り口を入るとすぐに土間とかまどがある間取りを「表勝手」といった。今のワンルームマンションでいきなりキッチンと流し台というのも、それなりに歴史的なものでもある。暖炉とcooking stove,囲炉裏と釜戸も同じく「火」を扱いながら微妙に違う。山小屋に、キッチンと流し台は不要かも。

2008年11月19日水曜日

山小屋プロジェクト:WaterValley#13 2008.11.19










ついに屋根完成
今年、最高の寒波到来。山は5度。働いているとそれほどでもないが、腰かけてお弁当となるとさすがに寒い。焚き火だ、焚き火だ。燃やすものはいくらでもある。枯れ木、焚きつけには事欠かない。
 メラメラと燃える炎は何か引き込まれる。「火遊び」という言葉の意味が良くわかる。情熱は焔のごとく燃え上がるし、怒りも燃え上がる。篝火の薪能は幽玄だし、鞍馬の火祭は勇壮だ。しかし、二つ重なると、胃炎だったり関節炎だったりあまりうれしくない。火は内的であり普遍的、善と悪を同時に断固として受け入れることのできる唯一のものである。それは、楽園で光輝き、地獄で燃える。それは優しさであり責苦である。それは煮炊きする火でありアポカリプスの火でもある。(バシュラール/火の精神分析)
 火は、炎だけでなく不完全燃焼すると煙も出るし、燃えた後には灰が残る。上手に火を起こす人もいれば下手な人もいる。燃え始めて消えるまでには、プロセスとスキルも付随してくる。オール電化や電子レンジで火は生活の中にその地位を失いつつある。それは単なる郷愁として忘れさってもいいのかもしれないが、心の焔はなくしたくないものだ。

2008年11月13日木曜日

山小屋プロジェクト:WaterValley#12 2008.11.13


屋根に挑戦。
E氏の協力を得て、屋根に、コンパネ、防水シート、アスファルトシングルを貼る。アスファルトシングルは山側80%で今日は終わり。やはり、アスファルトシングルを貼るといかにも「家」という貫録と存在感が出てくる。
今日は、いつも滾々と湧き出ている湧水を持ち帰り水質検査。COD(化学的酸素要求量)NH4(アンモニュウム態窒素)、NO2(亜硝酸態窒素)、NO3(硝酸態窒素)、PO4(リン酸態窒素)すべて測定限界以下の値。PHもちょうど7.これで、山の湧水も安心して飲める。(子供の時から飲んでいたが。)

2008年11月12日水曜日

山小屋プロジェクト:WaterValley#11 2008.11.12










ドアを制作。「道具と工具」


大きなアクリルの窓付きドアを制作。約6時間。最後にヒンジを取り付ける段になって「のみ」を使用して兆番の取り付け用のくぼみを作成。ノミを使うには2,30年ぶりだろうか。錆びきっている。グラインダーで横着をかます。本当は砥石で心をこめて研ぐのが本当だろう。ご先祖に叱られそうだ。要領がつかめた頃には作業は終了。

 ところで、ノミも鉋も「道具」と呼び(間違いではないが)あまり工具とは言わない。ドライバーやスパナは道具だけれど「工具」と呼ぶほうがふさわしい。もちろん、「道具」を使うのは人類の特徴ともいわれさまざまな分野にわたるが、何か、「道具」と「工具」はニュアンスが違う。鉋で木を削ると、木の性格や向きによって削れかたも異なるが、サンダーで削ると滑らかできれいで、しかし無表情だ。手引きの鋸で木を切ると木目や節で曲がったりするが、電動丸鋸できると、きれいに直線で切れる。プレカット、プレキャスト、プレファブリックは便利だ。素材の個性との衝突のあるなしだ。個性をバッサリ切り捨てるか、個性とぶつかり葛藤するか。鉋で木を削るには、木の性格を知り、対話しなければならない。面倒だがきれいに削れた面はサンダーで削った面とは比べ物にならない輝きがある。


<<お願い>>多くのメールをいただき感謝いたしておりますが、コメントに投稿していただくと議論も展開できます。できればコメントもお願いします。

2008年11月7日金曜日

山小屋プロジェクト:WaterValley#10 2008.11.027



ドア(手帳うの落書きよりSCAN)と足場の構想(足場はE氏) ドアの上半分は5mmのアクリルで開放感を持たせる。さて、ドアノブをどうしよう。MIWAのステンレスのレバーハンドルという訳にも行くまい。

構想に行き詰まると....静寂と死:今日は都会の事務所から思いをはせる。
ちょっと遊びすぎで仕事がたまる。今日はかたずけなければとやってきたのだがいつしか思いは山へ。振り返ってみれば昔は「W.V.]までは車で1時間かかったのだか、道路とトンネルのおかげで30分少々だ。それであの環境が得られるというのはうれしい。僕の事務所も駅前でありながら、結構静かな場所である。それでも山の静けさとは何か質が違う。その違いが重要な文明の(オオゲサナ!)課題なんだろう。空気が違う。山の空気は澄み切ったにおいがある。山の静かさには、静寂な音がある。山の落ち着きには落ち着いた動きがある。それが、死んだ世界との違いであり、防音工事とシックハウス対策で実現できない何かなのだろう。しかし、「だから人工の空間はだめ」なのではなく何か実現する方法はありそうにも思える。「だから人工の空間はだめ」は、自然を理解し愛する人のように聞こえるが、実は「敗北主義」であるようにも思える。

2008年11月2日日曜日

山小屋プロジェクト:WaterValley#9 2008.11.02










屋根材の搬入と野路板貼り(11/2)今日もE氏の協力を得て作業開始。まず、アスファルトシングルの運搬問題だ。常に、部材の山の斜面の運搬は大きな課題、問題解決の楽しみでもある。今回は、斜面の上側に滑車のつけ、イレクターで作った橇に部材を乗せて車のウインチで引き揚げようというアイデアだが、大失敗。背負子+人力で運んだ方がよほど早かった。のろのろウインチはワイヤーは絡まるし、ガイドプレートは割れるしトラブル続出だ。これはやはり、車の脱出用以上には使えない。 疲れ切ったところで弁当休憩。野路板の施工にかかる。コンパネと違って北山杉は心休まる良いにおいがする。床用の凹凸の溝を切った板だが、かみ合わせがどうにもうまく行かないものがあり、一部悪戦苦闘。たった1枚の180cmの板が、どうにもかみ合わず30分もかかったものもあった。人生、節目節目が...と言うが木材の節目はこりごりだ。節目の無い人生もさみしいが。御託を並べながらやっているうちに、終わった時は山はまたもや真っ暗。E氏持参の高級ランタンが威力を発揮。ブルーシートの雨よけをかけ、懐中電灯も活躍しながら撤収。照明のない真っ暗な山はちょっと怖い。昔、家族でここにテントを張って一夜を明かした時に「お父さん、ジェーソン出てきたらどうしよう」と言った息子の言葉を思い出した。

2008年11月1日土曜日

山小屋プロジェクト:WaterValley#8 2008.11.01


屋根材の購入(11/1)京都市市内のDIYのKは全く品揃えが悪い。ちょっとした部材は六地蔵店まで足を運ぶ必要がある。困ったもんだ。京都人は工作の域を超えたDIYはしないんだろう。1000年の都会人だから止むを得ないのかも。アスファルトシングルを6束。愛車のJimnyは一杯だ。サスも沈みぎみ、制動距離も明らかに長い。ルームミラーも後ろが見えない。安全運転、安全運転。

2008年10月28日火曜日

山小屋プロジェクト:WaterValley#7 2008.10/28







トラス搬入、壁構造制作、棟上げ(10/30)いよいよ2X4らしい工事に突入。プラットフォーム上で妻側の小さいほうの壁から制作。現設計では一方のみドアだが、両側にドアをつける様に変更。2X4の部材とコンパネの切断が必要だが、充電式丸のこが威力を発揮。切断は全く苦にならない。テクノロジーの勝利だ。コンパネとスタッドの接合もインパクトドライバーで楽勝だ。水平面で組んだパネルを垂直に起こすのはさすがに一人では困難、E氏に感謝。4枚のパネルを組むと、とたんに家らしくなる。モチベーションが上がったところで一挙にトラスを接合し、梁を接合。オー!これは家だ!!と言う感じになる。今日はここまで。あたりはもう暗い。山は平地より30分は日暮れが早い感じだ。物(知的制作物も含めて)を作るのは、なんとも言えない達成感がある。金融工学では味あう事のできない醍醐味だ。アメリカという国は、マークロソフト、グーグルといった素晴らしい企業があり、バイオや医学、宇宙工学の分野など素晴らしい世界位置の知性を集約した国なのに、どうして、発見と創造の感激を大切にしなくなってしまったのだろう。ウオール街が政府を運営し、新古典派が闊歩しだしたのはいつからだろう。わが国のフリードマンの伝道師たるTさんも最近はめっきりマスコミには登場しない。そうそう、アイスランドは国ごと倒産の危機だそうだ。吹田市、所沢市や青森の規模の漁業の国があっという間に日本の2倍弱の一人当たりGDPに躍り出ること自体、不思議と思わない感性が異常だ。サムライ債等の債権もあることだし、この際債権のかたに領土を日本に参入し、首相と閣僚の過半数を日本から派遣して....と言うような訳にも行かない。翻ってみれば、異常な低金利を放置した我が国の無策ぶりにも責任の一端がないわけではない。そういえば、自国通貨が安い事を期待する製造業や政府も異常だ。自国通貨はまさに国の力の反映ではないのか。ホテルのバーで会合を重ねている君!!君のことだよ!マンガを捨てて、山の自然の空気でも吸って反省したまえ。

山小屋プロジェクト:WaterValley#6 2008.10/28


プラットフォーム防腐処理、森林組合 北山杉板調達(10/28)プラットフォームの防腐処理を行う。30分程で完了。防腐剤を缶からコンパネにバシャッとぶちまけて刷毛で伸ばすという横着な作業。塗ること自体はそれほどの手間ではない。ペンキ屋さんの仕事を見ていても、養生とマスキングに多くの時間を費やしており、その精度が仕上がりの半分以上をしめる。山ではこれが不要な分楽だ。 さて、弁当も食べたし天気もイイ。爽快な気分で帰路に就くが、途中「おもろい木」という店?に寄り道。切り株や曲りくねった木や板を売っている。元は北山杉の磨き丸太を製造していたそうだが、銘木市場の低迷から数年前に転向。もっぱら変な木を専門にしたらそこそこ商売になりだし、建築家、工務店、茶道家などがわざわざここまで買いに来るそうだ。木材の世界もグローバル化で国産材は低迷だが、変な木=個性はが存在感を増しているのかも。規格品、汎用品は価格競争にさらされるがこの世界はそれがない。「Only One」の存在意義だ。(個人的にはナンバーワンの方が好き。オンリーワンは下手をすると負け犬の苦しい存在証明の麻薬になる危険性を孕んでいるから。だが、こんなオンリーワンはいい) ここのご主人に京北町の製材所を紹介されたので行ってみた。山間に製材業者と森林組合の製材所がある。こんな世界があるんだ。多少安くしてくれそうなので、野路板は北山杉に決定。今日中に運んでくれると言うのでトラックを先導して又山に戻る。山はもう暗い。森林組合の若い衆は、泣きながらも約束と20mほどの山の斜面を6往復。途中で足元が見えず「ギャー」という悲鳴が闇に木霊する。僕一人の力ではとても無理。感謝。

2008年10月26日日曜日

山小屋プロジェクト:WaterValley#5 2008.10/26


トラス完成(10/26)壁の上に屋根を乗せるための三角形。精度を要求されるパーツはやはり我が家のガレージ。2X4を45度の角度で多数切断するとなると100Vの本格的電動丸のこが必要。製作時間5時間。アクリルを張ると塗装が出来なくなるので今のうちに行う。これならJimnyのキャリアに積めそうだ。

2008年10月22日水曜日

山小屋プロジェクト:WaterValley#4 2008.10/22


プラットフォーム完成(10/22)E氏は上等のインパクトドライバー持参。僕のは「made in XhXXXXa」の廉価品充電式ドライバー。作業効率は歴然と違う。やはり、値段だけのことはあると実感。

2008年10月17日金曜日

山小屋プロジェクト:WaterValley#3 2008.10/17


基礎完成(10/17)ブロックと足場用単管で基礎を建設。E氏の協力を得て半日で完成。次はこの上にプラットフォーム(床)が乗る。構造用合板と2X4の運搬輸送が課題だ。これは便利屋さんの若い連中に依頼。水準もOK。この上に小屋が乗るのだと実感が湧く。

2008年10月11日土曜日

山小屋プロジェクト:WaterValley#2 2008.10/11


コーナンで直管足場とアジャスタブル・ベースを発見。これで、まずは戦闘開始だ。(10/11)

2008年10月1日水曜日

山小屋プロジェクト:WaterValley始動:2008.10.01


以前から山小屋をつくるのが夢だった。サラリーマンを辞めた時の生活の理想のリズムは、週4日は自分の事務所に出社、1日は山にこもって本を読む、土日は休む、月1回は東京など京都とは違う都市の空気を吸う、だった。そのために欲しかったのが山小屋だ。場所は京都市内(市街地)から車で30分のaterValley.時々、デッキチェアと一冊の本を持って行く秘密の場所だ。昔一度、間伐材で丸太小屋を作ろうとして挫折したことがある。その前は、山の管理人の老人がトタンぶきの軽微な小屋を作っていた。林道から15メートル程上がった、道と河が見える北斜面。息子がちいさい頃は、よくBBQをしたり、テントを張って一夜を明かしたこともある懐かしの場所でもある。
 きっかけは、雑誌に2X4で小屋を作ったと言う記事を見つけたこと。これなら一人でも出来そうと思った(誤解した)のが事の始まりだ。
制作記事との大きな違いは
1.フラットな都会の地面vs山の斜面=アジャスタブルで後にもレベル調整が可能な基礎のテクノロジが必要
2.電気が使えるか否か=効率を上げようとすると充電式工具が必要(インパクトドライバー、丸のこ)3.トラックで搬入できるか否か=ロジスティクス問題(四駆のウインチと滑車でリフトアップ)現在のところこんなところだ。多分、想定外の難問見込み違いは後からマダマダ出てくるのだろう。論理的には以上だが、
「精神的にやるぞ!」+「理解者(妻)」+「協力者(とその奥方)」+「時間」+「資金」経営と同じだ。
松下幸之助はしばしば「感謝の心」と言ったがそうなんだろう。
ふと、考えた。山小屋もお金をかければ出来てしまう。しかし、どうしても「心」が欠落してしまう。「俺は資金があるんだ。なんでもできるぞ」と言うところには何か足りない。もっと「サブプライムと金融工学」に飛躍すると「集めたお金」=「出資者」との心の繋がりを見ることは難しい。融資を頼みに行って貸してもらえた、貸す側も事業計画をみて資金回収できるとみた。そんな人間関係。真の事業家とバンカーがいない悲劇だ。 恐慌と山小屋?とにかく、「やるぞ」

2008年3月13日木曜日

屋根裏部屋プロジェクト#1

























  1. とあることから、屋根裏部屋の写真を引っ張り出した。’60s-’70の懐かしい写真が出てきた。
    なぜか、若者の自由な時代を感じるのだが、それは青春時代への郷愁のせいなのか?それとも本当に
    そうだったのか。日比谷のrockFes、新宿のアースデイ(後にホコテンという頓馬な名前になった)
    等など。1$=¥360のポスターも必見。